

普通ってなんだろう。
こんなこと思ったことありませんか??
思ったことがない人がいるならば、私は普通ではないということになります。
逆に、思ったことがある人がいるならば私は普通だということになります。
もしくは、思ったことがない人がいた場合でも私は普通だということになるかもしれない。
その逆もまた然り。
時々「普通」について考えてしまいます。
そこで、今回は私なりの「普通」についての価値観を話していきます。
普通とは
みんなと同じ
「みんなで渡れば怖くない!」
こんな言葉ありますよね。
この言葉からわかるように、日本人って1人でみんなと違うことをするとからかわれたり、変人扱いされちゃうんです。
「あの子普通じゃない」って。
みんなが「右」に行くところを「左」に行ったり、「止まる」ところを「走ってみたり」。
そんな時学校の先生や親はきっとこう言います。
- 協調性がない
- みんなに合わせて
- 変なことしないで
「普通」って周りと同じことをすることなんじゃないのかと考えてしまうんです。
偏見の固まり
年を重ねるごとに、生きてきて身についた常識やルールを変えることは難しくなっていきます。
それは今までの人生を否定しかねないからです。
例えば、定年を迎えるであろう年齢の方が自分が正しいと思って行ってきたことや思ってきたことを180度変えることは非常に辛いことです。
そんなこと誰もしたくないですよね?
誰しもが「自分の常識は正しい」と思っているかと思います。
しかし、その考え方が自分の中での「普通」を作っていくんだと思います。
そしてその自分の中の「普通」と違う人を見ると「普通じゃない」と思ってしまうんです。
環境によって異なるもの
日本人とアフリカ人の「普通」は全く違いますよね?
- 彼らとは文化が違いますし、食事の仕方だって違う
- 日本人は箸を使って食事をしますが、彼らは手で食事をする
- 肌の色だって違う
もし、私達がアフリカに行き日本と同じような服を着て箸を使って食事をしてシャワーを浴びて・・・
それは、彼らからしたら「普通」ではないですよね?
全く違う文化を自分の国でされているんですから。
しかし、肌の色の違いを指摘したらそれは差別に当たります。
肌の色の違いは差別に当たり、「普通じゃない」ことを指摘するのは差別に当たらないんでしょうか・・・
最後に一言言わせてください!!
上記の3点についていろいろ言わせてもらいましたが、何が言いたいのかというと、次の通りです。


自分の中の普通と他人の普通を分かち合えればもっとストレスなく楽しく生きていけるんじゃないですか!?
私も普通じゃありませんし、みなさんも普通じゃありません。
自分以外みんな他人です。
今までもこれからもそれぞれの人生があります。
他人の常識を全面否定したり、自分の常識を押し付けるのではなく理解しあうことが大事だと思います。
